ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(イタリア語: Galleria Vittorio Emanuele II)は、イタリアの都市ミラノにあるアーケードの名称。2つのアーケード(8角形の建物に2つのアーケードが交差する)に覆われ、ミラノドゥオーモ広場の北に位置し、ミラノスカラ広場へ通じている。イタリア王国の初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世にちなんで名づけられたこの場所は、最初に1861年にデザインされ、イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1865年から1877年の間に建設された。
最初の落成から130年以上を経た現在、4階建てのアーケードにはオートクチュール店から書店に至るまでの上品な各種店舗、グッチ、プラダ、ルイ・ヴィトンなどの高級ファッションブランド店の他、レストラン、カフェ、バーが入居している。ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアへ直接つながっているのは、ミラノでも最高級のパーク・ハイアット・ホテルで、都市の中でも最も豪華な(最も高価でもある)部屋と設備を有している。
東京ディズニーランドのワールドバザールはこのガッレリアをモデルに作られている
- 州:トロンバルディア州
- 県:ミラノ県
- 面積:182km2
- 標高:120m
- 人口:1,303,670人(2006)
- 人口密度:7,191人/km2
ミラノは古代にはメディオラヌムと言い、紀元前600年のケルト人の町を元にしている。前222年にローマが征服したが、そのどちらにもMediolanum(平原の真中)と呼ばれた。293年から402年まではMailandとも言った。その後はローマ帝国のもとで繁栄し、4世紀、司教アンブロジウスと皇帝テオドシウス1世の時代には西ローマ帝国皇帝の宮殿が置かれ、西ローマ帝国の首都であった。450年ごろ、アッティラに指揮されたフン族の略奪をうけ、539年にはゴート族に破壊されたが、8世紀末ごろに再び繁栄し始めた。中世を通じてミラノは大司教に統治されたが、都市の独立性をある程度保ちながら、下層の封建貴族たちは次第に大司教の世俗的支配から脱していった。東ゴート王国、東ローマ帝国、ランゴバルド王国の時代を過ぎ、11世紀にはそうした貴族たちがミラノを富裕な自治都市へと変化させ、成長の回復と神聖ローマ帝国からの独立を果たした。
第二次世界大戦では、イタリアが降伏した1943年以降にドイツ軍及びサロ政権の統治下に入ったため、イギリス軍やアメリカ軍をはじめとした連合国軍による激しい爆撃をうけたが、戦後急速に発展して復興をとげた。ミラノは文化的にも戦後のモダン・デザインの発信地として知られ、国際デザイン美術展であるミラノ・トリエンナーレが開催されている。
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基本情報の出所
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/ミラノ