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チェコ共和国の水彩画 世界遺産 チェコ・プラハ城とテルチ

チェコ共和国の水彩画 世界遺産 チェコ・プラハ城とテルチ

プラハ城

プラハ城(チェコ語:Pražský hrad)はプラハにある城。かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在はチェコ共和国(元チェコスロバキア連邦共和国)の大統領府のある場所である。ボヘミア国王の宝冠はここで保管されている。プラハ城は世界でも最も大きい城の一つであり(「ギネスブック」によると、最も古くて大きい城である)、敷地の広さは東西430メートル、南北70~140メートルで細長い形をしており、大きさは長さは約570m、平均の幅は約130mである。10世紀には既にこの大きさであったと考えられている。

テルチ・ザハリアーシュ広場

チェコ有数の美しい街、南部モラヴィア地方にあるテルチは、1530年の大火によって一時は焼失。時の市長ザハリアーシュ・フラデツ指揮の下で復興を目指した。彼は、中央広場に面する建造物をルネサンス様式と初期バロック様式で統一するが、建物正面は家主の自由なデザインで、という指示を出した。青、黄、ピンクのパステルカラーで個性を与えられた建造物が並ぶ中世の街並みは「モラヴィアの真珠」と称され、その後、ザハリアーシュ夫妻の遺骨は市民の手により城の大聖堂に安置され、広場の名称はザハリアーシュ広場に変更された。民の心を掴んだ市長の徳を今に伝える旧市街は、1992年に世界遺産となった。

チェコ共和国:プラハの基本情報

  • チェコ共和国:プラハの基本情報面積:496km2
  • 標高:179-399m
  • 人口:1,223,368(2008)人

プラハ

第二次大戦後は、社会主義国チェコスロヴァキアの首都となった。1968年にはプラハの春と呼ばれる改革運動が起こるが、ワルシャワ条約機構軍の侵攻を受け、改革派は弾圧された。しかし、1989年のビロード革命により共産党政権は崩壊、1993年にチェコとスロヴァキアが分離するとチェコの首都となった。1995年には、アール・ヌーヴォー・タウンの一角に腰をくねらせたように鉄筋とガラスの超モダンビルが出現した。 2002年にドイツ東部からチェコを襲った水害では、ヴルタヴァ川が氾濫し、広範に床上浸水し、市の地下鉄が数ヶ月に渡って停止するなどの大きな被害を受けた。
プラハは、千年の歴史を持つ都市であり、第一次・第二次世界大戦の被害にも、また、その後の資本主義の高度経済成長にも巻き込まれなかったことで、ロマネスク建築から近代建築まで各時代の建築様式が並ぶ「ヨーロッパの建築博物館の街」になり、ユネスコの世界遺産にも登録されている。

プラハの場所

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基本情報の出所
http://ja.wikipedia.org/wiki/プラハ城
http://ja.wikipedia.org/wiki/プラーグ

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